2017.06.01
その他
所長インタビュー
目次
人事労務分野において幅広いサービスを提供。
新しい課題に挑戦し、常に進化・成長をめざしています。
社会保険労務士(以下、社労士)は独占業務である社会保険手続き代行業務をベースにする事務所が多い。その中で、総勢20数名の所員を擁する社会保険労務士法人ヒューマンテック経営研究所は、大型の社労士法人であるだけでなく、株式会社ヒューマンテック経営研究所との二法人体制のもとで、賃金・人事制度等の設計や諸規程の制改定、人事労務相談のほか、M&AやIPO(株式上場等)に関する人事労務コンサルティングまで幅広く展開している。藤原伸吾氏は、2代目として、この組織に新風を送り込む一方、近未来を見据えつつ、技術革新のうねりの中でこそ必要とされる社労士像を模索する。現在43歳の藤原氏の軌跡を追いながら、士業の新たな道を探っていく。
新卒で中堅商社に入社
特定社会保険労務士・藤原伸吾氏は、東京・銀座で実父である先代(現会長)が開業した事務所を引き継いだ2代目だ。先代が築いてきた信頼と実績をもとに、日々、事務所の成長と発展にまい進する。
伸吾氏の実父、藤原久嗣氏が社労士のほか、中小企業診断士(以下、診断士)と行政書士の登録をし、ヒューマンテック経営研究所を開設したのは1984年。その2年後にコンサルティング部門を株式会社として法人化。ちょうどこの頃から伸吾氏の実母も社労士資格を取得し事務所の業務に携わるようになった。当初は社労士業だけでなく、診断士として経営コンサルティング業務から行政書士として許認可業務まで幅広く業務を行っていた。先代の久嗣氏は、際立つ実績を誇るヒューマンテックの創業者という立場だけでなく、東京都社会保険労務士会(東京会)の常任理事(当時)として、東京会の最初のホームページ作成に関わったほか、自主研グループ制度やホームページ上の専門分野別登録システムの設計・立ち上げなど、社労士制度の発展にも取り組んできた。また、1988年の労働基準法改正に伴って週40時間制を進める時短カウンセラー(労働省〈現・厚生労働省〉から委嘱)や通産省(現・経済産業省)の中小企業近代化審議会の専門委員を務めるなど、広く社労士業務の地位向上活動をするほか、多数の著作も出版してきた。このように、社労士事務所として高い専門性と広い業務領域をもった事務所に、1999年に入ったのが2代目の伸吾氏だ。
と言っても、以前から資格取得をめざしたり父の事業を継ごうなどと思っていたわけではない。むしろその逆で、伸吾氏は「父親が事務所を開業した当初、行政書士であることは知っていましたが、社労士と診断士の仕事もしているのを知ったのは随分あとになってからのことです」と言うほど。
父親から後を継ぐように言われたこともなく、大学時代は民法ゼミでドイツ民法を学びながらサークル活動と飲食店のアルバイトに没頭し、卒業後は読書好きが転じて、紙の専門商社で社会人となった。
「私が配属された卸商営業第一部はルートセールスが基本で、ほとんどが定期顧客への営業でした。やるんだったらとことんやりたいという想いから、早朝や昼休み、終業後には見本室で紙質や厚さを確認したり、同期と問題を出し合ったりするなど、自分なりに紙を覚えるための取組みをしていました。ある役員が紙を触るだけで紙質や厚さはもちろん、メーカーや生産工場まで分かるという話を聞き、やるからにはそれぐらいのエキスパートになりたいと思っていたんです。今ではもうすっかり忘れてしまいましたけどね(笑)」
ところが、紙業界に入ったのはくしくも「Windows98」発売直後。先輩からは「10年後にはデジタル化が進み紙がなくなる」と聞かされ、入社後1年が経つ頃には当初の熱い想いより、紙自体がなくなる焦燥感のほうがじわりじわりと強くなっていった。そんな社会人2年目の夏、伸吾氏は父親にどんな仕事をやっているのか尋ねてみた。そこで初めて父親のやっている仕事内容を知ることになったのである。このとき初めて資格取得を意識した。
事務所は当時、社労士業務が着実に増え、中堅企業の賃金・人事制度や就業規則の制改定等の人事労務コンサルティング業務が拡大している時期だった。
「専門性が高くておもしろそうだな」と純粋に思った伸吾氏は、入社2年目の12月に退職を申し入れ、翌年2月から父親の事務所に転職。社労士に向けて第一歩を踏み出した。
受験と実務を同時並行で
社労士資格を取得する。と言っても、初めて経験する社労士事務所での実務と同時並行で受験勉強をするのはたやすいことではない。それでも伸吾氏は業務のかたわら勉強をしながら2003年に社労士試験に合格した。29歳のことだった。伸吾氏の入所を契機に、所員も徐々に増え、人数も10余名を数えるまでになった。
社労士事務所といえば、社会保険手続きと給与計算がメインのところがほとんどという時代だったが、ヒューマンテックは伸吾氏が入所した当時7~8名の陣容で、社会保険・給与計算より、賃金・人事制度設計や就業規則等の制改定、人事労務相談顧問などが主体で、コンサルティング色が非常に強い事務所だった。
この頃は、わが国において年功主義から成果主義への切り換えの波がまだまだおさまらない時期だった。就業規則についても、中小企業はもちろん、中堅企業においても整備されていないことが多かった。そんな中、世の中では、社労士が人事制度の設計を行うという認職はほとんどなく、競合は金融機関系シンクタンク、人事コンサルティング会社、外資系コンサルティング会社等。企業からは「大手コンサルティング会社に大金を支払ったが、全然機能しないので再構築をお願いしたい」とヒューマンテックに依頼してくることも少なくなかった。
伸吾氏はそんな発展著しい事務所に入って、まず小規模な会社の社会保険・給与計算を担当するとともに、徐々に人事労務相談や規程作成にも関わり、人事制度においても、従業員の年齢や勤続年数、資格、等級、給与、退職金等の現状分析などを行いながら、プロジェクトにも参画して修業に励んだのである。
人事制度は報酬が高くやりがいもあるが、スポット契約が多いため事務所経営が安定しない。事務所を安定的に経営していくためには固定収入を安定して受けられる業務を受託していかなければならない。伸吾氏が入所から数年後に、当時所長だった父親と相談し、人事制度の設計や諸規程の制改定、人事労務相談に加えて社会保険・給与計算を事業の大きな柱とするとの方向性を決定。
ヒューマンテックはその後、顧問先や所員を徐々に増やし、20名近い組織になったところで、銀座2丁目から昭和通りに面した銀座3丁目のビルに事務所を移転した。そして、2011年には、社労士法人を設立し、伸吾氏が代表社員に就任するとともに、社会保険手続きや給与計算業務の受託契約を先代個人から、社会保険労務士法人ヒューマンテック経営研究所に切り換えた。
社会保険・給与計算と人事
労務相談で安定性を担保
こうして、ヒューマンテック経営研究所は社労士法人と株式会社の二法人体制となり、現在は社会保険手続き・給与計算業務などのアウトソーシングから、人事労務相談や就業規則をはじめとする社内諸規程の制改定、労働時間制度や賃金・人事制度の設計などの企画コンサルティング業務まで、人事労務分野のあらゆるサービスを総合的に提供している。また、M&AやIPO、合併に伴うデューデリジェンス(企業買収時の調査)、グループ経営強化といった組織再編・事業再編など複雑かつ総合的なノウハウが必要な案件も数多く手掛けている。
法人化した当時は社労士法人のほうが売上が少なかったが、社会保険・給与計算の業務体制強化が実を結んで売上自体も大きく伸びた。社会保険・給与計算が伸びてきたのは法人化の影響だけでなく、社労士の知名度アップによるアウトソーシング増加の流れもある。さらに、マイナンバー制度導入などの社会環境の変化も後押ししている。
「マイナンバー制度が導入されると同時に、社労士事務所に対してセキュリティ面での信頼性を重視する企業が増えてきました。ヒューマンテックは、この面でも社労士業界では先進的。セキュリティ面にも配慮し安全性を重視している点が評価され、声をかけていただくことが多くなっています。
現在オフィスを構える中央区銀座4丁目のビルは歌舞伎座の並びにある2015年8月竣工の新しいビルで、最新の免震構造や万全な災害・防犯対策など安全性を重視して作られています。そこにサーバールームとマイナンバールームを作り、監視カメラも設置するなど、セキュリティ面で万全の体制を整えています。もちろん、プライバシーマークやSRPⅡ認証も取得しています」
社会保険・給与計算業務ではセキュリティ体制と組織力が強みだが、ヒューマンテックの最大の特長は、何といっても創業から培ってきたコンサルティング・スキルと大企業のクライアントを有するところにある。社労士が人事労務相談や人事制度の設計に携わることがほとんどなかった時代からこれらに関わってきた自負は、伸吾氏にとっても一番大きなバックボーンだ。伸吾氏は、講演でも東京第二弁護士会や神戸商工会議所、北海道・名古屋地域の社労士会など幅広く出講してきた。また、2005年からビジネス・キャリア検定試験「労務管理」の作問委員を務めるほか、2年前から月刊誌『日経トップリーダー・トップの情報CD(日経BP社)』でも様々な課題について隔月で解説をしている。
ヒューマンテックのもうひとつの大きな特長は、受注の9割以上がリピートと紹介案件であること。きめ細やかで顧客の立場に立ったサービス、そして最先端の課題に正面から向き合う姿勢を気に入ってくれるお客様も少なくないという。前述のように、コンサルティングや社会保険・給与計算はもちろん、最近では企業再編(M&A、会社分割、事業譲渡)にかかる人事労務面からの総合支援やグループ経営強化、IPO支援などの紹介案件も多くなっている。
「合併などの際に、複数の労働条件を統一する場合、すべてを良いほうの条件に合わせることができれば問題ありませんが、現実的には引下げが必要な場合も少なくありません。その時どうやって進めていくか。私たちは、最初に丁寧にヒアリングを行い、お客様と一緒になって考えながら方針を策定し、就業規則等の諸規程に落とし込んでいきます。さらには、合併後に人事制度、給与制度、評価制度、退職金制度等を合わせて統合していきます。
労働条件を合わせるといっても、そう簡単ではない。例えば、賞与のある会社とない会社が合併する場合、従業員の年収が仮に同じであっても月例給与額が異なります。この場合、賞与が支給されている会社で賞与を廃止し、その原資を月例給与に振り分ける場合にはあまり問題になりませんが、その逆の場合、つまり、賞与がない会社で、年収を変えずに賞与を支給しようとすれば、月例給与水準を引き下げなければなりません。しかし、従業員には生活がありますから、いくら年収が変わらなくても月例給与が下がるとなれば納得を得るのは容易ではありません。不利益変更として問題になることがあります。このような場合には従業員に丁寧に説明し、同意を得ることも必要になります。このように、法律の専門家としての提案が非常に重要になってきます。
組織再編のスキームには、合併や会社分割、事業譲渡などさまざまな手法がありますが、それぞれのスキームに応じて、労働条件の見直しや諸規程、人事制度の統一などへのアプローチの仕方が異なります。このように、最近では、コンサルティングメニューのすべてを横串で実施する業務も増えています。
また、大手企業では、他の企業を買収してグループ企業に加えるケースがありますが、新しい事業を買収すると、それまでなかった業種ができます。そこで新たな業種の規程を依頼されたり、労働条件の統一のご相談をいただくことも少なくありません」
と、伸吾氏は川上から川下まで網羅した細やかなサービスを自信を持って紹介する。
企業再編やIPOに絡むコンサルティングは、会社の将来を左右する。近年、特に重要性を増しつつある人事労務の領域において、こうした大型かつ複雑な案件を支援するには相当の専門知識と時間を要するため、高度で専門的スキルを持った社労士事務所でなければ受けられない。ヒューマンテックが培ってきた33年間の実務の集大成と経験値はそこで威力を発揮する。
経営理念は「Be Thanked!」
現在、スタッフのうち、社労士有資格者は半数強。入所すると資格の有無に関係なく、まずは社会保険・給与計算に関わってもらう。賃金・人事制度を始めとするプロジェクト業務に関しては、自ら責任をもって実施できるようになるまで少なくとも3?5年はかかる。しかも、その期間を過ごせば自然と身に付くというものではなく、自分自身で本気になって取り組む気持ちと姿勢が必須となる。 「通常、有資格者の場合、社会保険・給与計算から始め、徐々にコンサルティングに移行していきますが、たとえ資格がなくても社労士をめざしていたり、やる気があれば同時並行でコンサルティングに関わっていけます。このほか、即戦力として社会保険・給与計算業務を前提に採用し、そのままスキルアップしていく所員もいます」
所員を育成するにあたって最も重きを置くのは、経営理念の「Be Thanked!」だと伸吾氏は話す。そして、この理念に基づく4つのモットーは「(1)専門性の追求(専門的ノウハウの研究と探求)、(2)フットワーク(スピーディかつフレキシブルな対応)、(3)コンビニエンス(どんなニーズにもワンストップで対応)、そして何より大事な (4)120%主義(120%の顧客満足(感謝と感動)の追求)」だと言う。
「採用においても、この経営理念に賛同してくれる人、お客様の立場に立って感謝・感動される仕事をしていきたいと心から思える人を求めています。資格や経験の有無よりも、そこが一番大事ですね。
そして、人事労務相談などの業務を行う場合、法律の裏付けを一つひとつ確認することはもちろん必要ですが、法的な知識にとどまらず、労務管理に精通するとともに、他社事例も踏まえながら相談してきたクライアントに対して具体的にどのような対応策が考えられるか、というところまで提案、指南していくことが重要です。実際のコンサルティングはそこにこそ価値があるのです。
今は、メンバーのスキルを上げていくこと、育てていくことに力を入れています」 以上がヒューマンテックが大切にしている経営理念であり、伸吾氏の人材観だ。
40歳・勤務15年の節目
伸吾氏の日常は、かなりコンサルティング実務に費やされている。最近多いのは原稿執筆や取材、講演など。毎月の連載記事のほか、法改正などの取材を含め1~2ヵ月に1回は新聞や雑誌などの取材を受ける。その他にも人事労務相談を数社担当し、制度設計や規程改定にも直接関与する。
伸吾氏は、ほかに東京都社会保険労務士会(東京会)の仕事にも一定の時間を費やしている。
「現在、東京都社会保険労務士会理事、同会広報委員会委員長代行、さらには中央支部の厚生委員長等も務めています。多いときには会合だけでも週に2~3回はあるので負担は小さくありません。東京会の会員は今や1万人を超える大所帯になっていますが、広報委員会では会員向けの会報を作ったり、ホームページを運営したり、会員紹介サイトの審査・運営などを行ったり、無料街頭相談会を企画したりしています」
東京会の中で中堅となった現在、伸吾氏は自分が教えてもらった分、後輩に伝えていくことが役割だと受け止めている。また、東京会の活動に積極的に参加することはメリットが大きいと伸吾氏は考えている。
「さまざまな情報がスピーディにキャッチできるうえ、社労士として仕事をやっていく上での悩み事や具体的な仕事の相談など先輩や仲間にいろいろと聞くことができます。
中央支部はとてもアットホームで、私も諸先輩方には今でもいろいろなことを教えてもらっています。自分自身がお世話になったからこそ、東京会の仕事を引き受けたり、誰かの役に立ちたいと考えています」
東京会の任務を遂行すると同時に、経営者としての役割も果たさなければならない。
伸吾氏が事務所に入った時、先代は還暦を迎え、ちょうど事業所開設15周年記念パーティー開催を企画していたが、その当時は、あと10年後くらいには事務所を閉じるため事業を縮小しようと考えていたのだという。
「そこに私が入ったので、逆に盛り上げようという方向に変わったと聞きました。私自身、入所した当初、40歳・勤務15年をめどに事務所経営を引き継ぐという目標を持ってやってきましたが、結果として本当に40歳・15年で引き継ぎ、目標を達成できました」
伸吾氏は、2010年10月に、株式会社の代表取締役(先代と二人代表)になり、翌2011年9月の社労士事務所の法人化に際して、代表社員に就任。そして3年前の3月、名実ともに40歳でヒューマンテックの所長となったのである。
「社労士事務所の法人化に際し、私が社労士法人の代表社員になるということで、クライアントに挨拶状を回付したとき、多くの方から激励と歓迎のお言葉をいただきました。そして、すべてのクライアントが、父との個人契約から法人契約への切り替えに快く応じてくれました。そこからグッと代替わりに向けて動いていきました」と、伸吾氏は事務所を継ぐまでの軌跡を振り返る。
入所してから18年、所長となって3年。脂の乗りきった伸吾氏は、今後の展望について「AIやIoTが進展する中で、社労士業界は、今、変革期の真っ最中にある」と話す一方で、事務所の代表として荒波に立ち向かう気概を見せている。
「AIやIoTの普及によって、現状の業務にどのような影響が出るのか不安を口にする社労士仲間も少なくありませんが、人事労務の問題はこれからますます複雑になっていくことが予想されます。人間がいる限り、働く人がいる限り、人事労務の問題はなくならないし、未来の可能性はとても大きいと思います。
ヒューマンテックの今後のビジョンとしては、まず電子化が進む時代だからこそセキュリティ体制をしっかりと整えつつ、社会保険・給与計算を積極的に取っていきたいと考えています。こういう時代だからこそ、そうすることに価値があると思うんです。
また、賃金・人事制度の企画や人事労務に関するコンサルティング業務は計り知れない可能性があると思います。かつては、人の問題は労務管理の一言で括られた時代もありましたが、今日ではいよいよヒューマンリソースの視点からの個別的な人事管理が求められるようになっています。働き方改革等で多様な働き方が生まれ、一律の制度設計ではもはや対応できない状況になっています。制度設計も、パッケージではなく1社1社きめ細かく作り上げていかなければなりません。その時大事なことは、お客様からの感謝・感動をめざす『120%主義』の精神です。そこが私たちの一番のこだわりですね」
手続き業務、企画コンサルティング業務を問わず、お客様から信頼を得るとともに、感動してもらえるような仕事をすることが最大の目標。一つひとつの仕事に100%で満足せず120%の気持ちを持って当たる。伸吾氏がこだわり続けているモットーだ。
「新しい課題に直面し、お客様と一緒に考えながら、新たなノウハウを研究し、開発していく。それは簡単なことではありませんが、それこそが私たちが存在する意味であり価値なのだと思います。展望としては、これからの時代いよいよそういうものが必要とされていくだろうということ。それは、まさにヒューマンテックが向かっている方向だと思っています」
社労士は、企業経営の重要な柱のひとつである「人」の採用から退職までの労働・社会保険や、年金の相談に応じる「人」に関するエキスパートだと言われている。労働環境の多様化、労働人口の高齢化が進む中で、このスキルは今後ますます評価され、必要とされる場が増えてくると伸吾氏は断言する。
社労士をめざす受験生に対しても、「社労士の認知度は高まり続けており、今後ますます世の中に必要とされる資格です。特にコンサルティングに関しては、無限大の可能性が広がっていくと思います」と強調する。
また、人事制度の設計にあたっては、コンプライアンスの時代に沿ったものを提案していかなければならない。制度設計をする際には、しっかりと前提となる法律を理解したうえで、企業の経営方針や実態を理解するとともに、そこで働く人たち一人ひとりのモチベーションを高めることをめざし、各企業に最適なものを提案できる専門家でなければ必要とされなくなる。
「社労士と契約したいという企業は年々増えており、今後、最も可能性の広がる資格のひとつだと思います。顧問弁護士を抱えている企業でも、『人の問題については人の専門家である社労士に相談したい』というのが当たり前になってきています。一般に、弁護士は火事が起きたときにそれを消すのが仕事で、社労士は火事が起こらないように日々の予防のための相談を受けるのが仕事だと言われます。もちろん実際にはそう単純ではありませんが、社会保険や給与計算を受けていれば、それだけでも会社の実態についていろいろなことが見えてくる。そうした社労士にしかできないことはとてもたくさんあると思います」
「日々同じ問題はない」と伸吾氏は言う。新しいテーマが来たら、その時に必死になって取り組むしかない。新たな問題をクリアすれば、別のプロジェクトでは、それをもとにしてさらに展開し深めていくことができる。
「必死になってやっていくしかない。パッケージではない、お客様それぞれに合ったものを作っていく。ただひたすら、感謝されたい、感動を与えるような仕事をしたいという思いでやってきました。例えば、『ここまでのものができるとは思わなかった。自分たちだけではとてもできなかった。頼んで良かった』と言っていただけると、『本当にこの仕事をやっていて良かった~!』と、いつも最高の達成感を感じるんです」と言って、伸吾氏は笑顔を見せる。
父親と二人三脚で作り上げてきた「Be Thanked!」の組織。伸吾氏は先代が作り上げてきた仕事に向き合う姿勢、そして業務領域の深さと広さを最大限活かしながら、日夜奮闘し続けている。
ヒューマンテック経営研究所
所長 藤原 伸吾(特定社会保険労務士)
※本コラムは、資格の学校TACが発行する仕事と資格マガジン『TACNEWS』2017年6月号「日本の社会保険労務士」で掲載されたものです。